何かしようとするといちいち時間をくうコートダジュールの暮らし。一事が万事、自分の思うようには進まない。
コートダジュールでの時間との戦い

イライラが止まらないダジュールライフ
ここでいう「時間との戦い」とは1分1秒を争うものではなく、日本で半日かかるものは3日、一週間以内のものは2、3週間、「ちょっと時間がかかる」ことに関しては3ヶ月から半年と超ロングスパンで〝待て〟というもの。
だからかなりのんびり者の私でさえコートダジュールではイライラしっぱなし!しかも周りのフランス人はちっともあせってないから余計イライラする(笑)。
こんなに毎回イラついてては健康にも美容に悪い!ただでさえ紫外線が強くて活性酸素が大暴れなのに!
そんな時は「全集中、カラダ!」
なのでそんな時は「何も考えない」ようになった。「頭」を使わないようになった。意識を「頭」に行かせず体中に分散させる。
結果、体で感じることだけを受け入れることに。
となれば地中海気候の極上の心地よさにさらされているカラダである、速攻で気分良くなれる。実際はこんなに簡単には行かないけど、これは日々の忍耐を直接ココロにストレスを向かわせないために体得したコートダジュールメソッド。
植物や動物がたどり着いた先の気候にあった種類に変わっていくように、ヒトは生き延びるために価値観を変えるらしい。
時間が生み出すモノの価値
時間に関する価値観はコートダジュールに来てものすごい変わった。
トウキョウライフでは時間をお金に結びつけて考える事が多い。同じ時間でこの方法ならいくら稼げるとか、電車が遅れていくらの損害とか、同じ値段なら早い方とか。
でもその時間で得た喜びについては語られているのを聞いたことがない。
一方コートダジュールでは電車は必ずといっていいほど遅れるが、その間に運命的に出会うカップルもいるだろう、言葉を交わしたお年寄りから貴重な話を聞くこともあるかもしれない。
そう考えると時間を我が物にしているのは果たしてどっちなのか?時間から得られる価値をその人生でしっかりと享受しているのはどちらなのだろうか?
ヒトの心はお金で買えるのか?
どんな時間もすべて自分の人生にあてがうフランスジン。
どんな小さな時間も消費社会に搾取されてしまうニホンジン。
「ヒトの心はお金で買える」はホントにすごいニホンジンらしい発言だと思う。
例えば今の私なら、私の心はジュアン-レ-パンの海のようにすばらく豊かで美しいと思っているからどうやったって買い占めるのは無理とはっきりわかる。でもトウキョウで暮らしていたら「そういう部分(ヒトの心はお金でかえること)もなきにしもあらず、、」なんてふつうに思うかも。
時間の本質
時間っていうのは心が生きている状態のこと。
夢も希望のない時間をいくら過ごしても意味がない。モノを買うために仕事する、それこそ無駄な時間だと思うようになった。のんびりライフのなかにたゆたう時間を気ままに身にまとう、、何気にそんな優雅なワザをもっているダジュレリアンたち。悔しいけれど、彼らに時間の本質を学びつつあるところである。
それはさておき、フランスには若者の雇用がどうこうより「今日出来る事を明日に伸ばすな」って法律を制定したらどうよって思うよ!
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