お客様が残していったフィンランドのファッション雑誌をもらった。
どれどれ、、、とフィンランド雑誌をパラパラめくる。
「なにこれ?現代の?」それが第一印象。
思わず発行年月日を確かめる。
確かに2006年6月号だった。
全てのスタイリングがびっくりするくらいダサいの。
ファッションページだけでなく、インテリアページも、ヘアスタイルのページも。
昭和の「婦人画報」でも紐解いてる気分。
もちろんこの雑誌を置いていかれたのは45代のマダムだからからもしれないけど。
それでもこうしてフレンチリビエラのお高いリゾートホテルへ娘さんと旅行するような生活レベルのマダムが読んでるのだからフィンランドでは余裕のある人達のための雑誌のはず。
こんな服誰が着るの?こんな髪型ってまだ存在するの?
「こんなのが今、一番イケてる世界」が確かにあることを肌で感じ、今日もまた価値観についての固定観念を揺さぶられてしまった。(?アレこの日本語なんか変?)
だってこのフレンチリビエラを「美しい」と思う価値観は同じなのに、流行のドレスに対する価値観はこんなにも違っちゃうわけでしょ?
ってことはニホンジンとしてヨーロッパ文化を知る中で「いい」又は「コレが流行ってる」と思って選んでいる服もフィンランドの人から見たらダサくて滑稽になりうるわけでしょ?
日本で暮らしてて、「当然、世界中でこのスタイルが今、一番」と思っていたものが、ただ単に世界でもヨーロッパとアメリカの限られたエリアから発信され、鵜呑みにしていたものに過ぎなかったのかー、、、そう考えると「私の価値観」って一体なに?って不安になった。
何によってそう思わされていたのだろうかと。
自分オリジナルの価値観って持っていたのだろうかと。
日本にいた時は自分に影響ある世界は「アメリカ」と「ヨーロッパ」それもイギリスとイタリアとフランスくらいで後は何かしらつながってはいるんだろうけどその生息を感じる事はなかった。
コートダジュールで暮らしはじめて、北アフリカと近東の国々という未知の価値観エリアの人たちと話す機会も徐々に増え、各国のファッション雑誌も手軽に(立ち)読みできる環境になり、VOGEUにでてくるようなものだけに価値を置かない世界のほうが多いと知って驚いた。
自分が信じていた価値観がまったくもって通じない世界の方がこの世には多いということに。
自分こそが「価値観のまるで違う」「遠いどこかの国のヒト」で「マイノリティー」だったことに。
先のフィンランドなんて同じEU圏内だっていうのにこの違い。
これからは自分の中にあるモノだけを純粋に取り出して表現していこうと思った。
今や自分の外にあるモノはもう、なんだか信じられないから(笑)。
でも、「コートダジュールの休息」読者の皆様、ご安心を。
唯一「女性の美」に対する価値観だけは地域差はあるもののほぼ世界同一。
キレイな肌、目ジカラ、美しい髪、形は違えど「女性らしさ」には有無を言わさぬ強さがあるのだ。
そう、信じられるのは「ヒト科ヒト(♀)」という生き物自体の存在価値なのである。
ニッチな市場です
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