夕暮れと明け方は女性が最も見られたくない“落ちた状態”であるのとは真逆に
どんな町でも美しく愛しく、時に神々しく見える時間帯であります。
コートダジュールにはやられっぱなし
いつもはその不便さに悪態をついてばかりのコートダジュールですが、
夕暮れに見せる切ない表情にはいつもやられっぱなし。
生まれて始めてモネの「印象・日の出」を見たときに受けた風に似た、
(エネルギーを秘めた絵画からはボーっと強風のようなものに包まれることがある)
そこから動けない、目が離せない、まさに釘付けになる不思議な力がJUAN-LES-PINSには宿っています。
でも最近はこうも思う。
気持ちの余裕がないと感じ取れない美
“そう感じた時”に立ち止まれる時間的、気持ち的余裕が景色をより美しく感じさせているのではないか?と。
美しい瞬間に気づき、立ち止まれる時間や、
「あぁ、まるで昔オルセーで見た絵画のようだ」と記憶をリンクさせ、その色や質感に思いを馳せる、、、ほどの“余裕”を滑り込ませる“有余”がトウキョーでの日常生活にあるのだろうか?
「余」とは①われ。おのれ。②あまること。あまり。のこり。 のこと。
ニホンに足りないのは「余り」です。というとおかしな感じもするが、上の写真をみればなんとなく納得もできる。
コートダジュールは時間の余裕をもってこそ尚一層輝くといえそうです。
ますますニホンジンツーリストにはハードル高いのですが、ここはがんばりどころです!
≪旅行者のためのダジュールルール≫
- 1日に行くところは1箇所
- 感動したら立ち止まれ・立ち尽くせ
- スケジュールは出会った人に決めさせろ ←これは私でもまだムリ(笑)!!
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