フランス語もままならないのに、
英語もしゃべれないのに、、、
これはカミングアウトともとれますが、
ひそかにイタリア語に手を出してる私。(ぶたないで~[:てれちゃう:])
イタリアは近いし、イタリア人も多いし、
外国の方にずいぶん日本語で話しかけられた経験から、
私もリップサービス程度にしゃべれたらいいなと思って、
図書館で借りたイタリア語会話CDを聞いてます。
これがまた!ほとんど聞き取れるんですね。
初級の内容とはいえさすがラテン語仲間、
フランス語さえわかっていればだいたいわかります。
問題は自分の口からでてくるか?
ここは私の辞書にはない「努力」するしかありませんね(笑)。
イタリア語に関しては読み書きできなくていいから
とにかくしゃべれるようになりたい。
そしていつかカンヌかどこかのトイレでモニカ・ベルッチさんに
ばったりお会いしたときに「あ、お先にどうぞ。」とかさらっと言いたいの。
(ヘンに具体的な目標&ヘンなモチベーションですみません)
ジュアン・レ・パンにも夏はイタリア人がいっぱい来ています。
伊・仏問題なく流暢な人もいれば、フランス語はさっぱりの人も。
私はイタリア語ってかわいい!って感じます。
去年こんなことがありました。
ある夏の夕方、突然に激しい夕立に見舞われました。
通常、かなりの雨でも傘なしで歩ける私たちもさすがに無理!な激しい雨。
スーパーでの買い物の帰りにこの豪雨に見舞われて、
とあるブティックの軒先で雨宿りを余儀なくされた私。
そこへやっぱり雨宿りに駆け込んできた男性。
ながーい沈黙。雨はやむ様子なく降り続いています。
あまりに暇で少しずつ話始める私たち。
そうはいっても私はつたないフランス語、彼はもっとつたないフランス語。
私が「イタリア語のアクセントって私にはとってもチャーミング」と言ったのが
今となっては誤解を招いたのかも?とも思いますが、
その男性は今夜ご飯を食べようと誘ってきました。
「今日は無理」
「じゃ、Quanto(いつ)?」
「今度」
「Dove(どこで)?」
「じゃ、ここで」
「A che ora(何時に)?」
「うーん、今と同じ時間に」
「come (どうやって(連絡するの))?」
「その日にここで同じ時間、それでいいんじゃない?」
その頃には雨が上がっていて、ひんやりとしていたか、
蒸し暑かったかはまったく覚えていないけど、
彼が疑問詞を発言するとき必ず猫背になるほど両手を体の前に出し、
手は何かをつかみ引っ張りおろすようなしぐさで
15メートルは一緒に歩いてきたのをよく覚えています。
結局その彼とはその夕立の日以来、会うことはなかったけれど、
私がイタリア語なんて全然わからないのに「Dove?」と
連発していた彼の〝生きるエネルギー・好奇心〟みたいなものが
言霊となって、私の中に今でも息づいているような気がします。
イタリア語をしゃべれるようになるには、
その核に「生きるパッション」がないと絶対にものに出来ないと思っています。
そういう点でフランス語の核には「自己主張」、
日本語には「謙遜のこころ」があると思いますが、みなさんどう思いますか?
国じゃなくて性格で言葉が分かれてたら、どんな世界だったのでしょうね?
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秘密の岩場浴場(仮)
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