あまりに暇だったので午後からニースに行ってみた。
最近、朝のウォーキング[:ジョギング:]を再開(正月以来、、)、そうなると歩きやすくてヨガもしやすいパンツとサンバイザーが欲しくなる。
アディタス バイ ステラの何かいいものがあればと思い、ニース唯一のファッションビル、NICE ETOILE(ニースエトワール)のスポーツショップへ。
そしてあった。でも高くて買わなかった。
やることなくなってぶらつく。
とはいえ、今(って去年からそうだったけど)ニースはトラムウェイの工事中で大通りの歩行者スペースは路地より狭くなっている。
そこにベビーカーのママさんやお年寄りから物乞いまでいていつも大混雑。
目的の店まで行くのにさえ非常に面倒くさい。
通りの向こう側に店を見つけたときにはそれはもう大周りを余儀なくされる。
だからぶらつこうにも楽しめない。
こんなニースしか知らないから実はニースってお勧めできない。
トラムウェイが出来てから来るべき。
しかしいつできるのやら?
日本でそんな大事な商業ポイントエリアで大工事ともなれば連日昼夜を徹して行われ半年くらいで作っちゃうのに。
そう考えてみると日本の都市って消費者が買いやすいような流れで作られてるな。
駅で切符買うのもスーパーでもデパートでもそう。
「これ欲しいな」と思ったらすぐに財布を出して買えるようにシステムされている。
駅を降りたら自然な流れで駅ビルに入ってしまい、「ちょっと」雑貨を見てるうちに「そういえば」あれを買っておかなくちゃ思い出し目当てのショップへエスカレーターでぴゅー。
家に帰り着く前にコンビニよって新商品のヨーグルトを見つけて買ってみる、、。
必要なものを考える前に欲しがらせて買わせてしまう資本主義マジック。
買って、ちょっとうきうきして、また明日の繰り返し。
トウキョウの暮らしって企業が便利を追求していくから日々快適になっていくんだけど良く考えたら直接的にも間接的にもお金を払ってるんだよね。
それに比べどうよ、こちらではまず商品の値段がわからなかったり、レジを探したり、探したレジが閉まってたり、レジで長蛇の列、または2、3人しか並んでないのにすごい待たされたり。挙句の果てにはバーコードがレジに通らないからこれ買わないでとか!
とにかく「ロードオブザ買うまで」がスムーズではないのでよほど欲しいか本当に必要なもの以外買わなくなる
ニホンジンの私にとって「快適」は物事がつつがなく進んで欲しいものがいつでも買えること。
だからコートダジュールに来てからずっと「よくこんな快適じゃない町、社会、システムで耐えられるな、、」と思っていたけど、(今でも耐え難いけど)お陰様で買う面倒さを乗り越えても絶対に絶対に欲しいもの以外求めなくなった。
そして最近、町は「モノを買うため」にあるのではなく、「人が集うため」にあるというのがこちらの基本概念なのではないかと気がついた。
それならばこのメインストリートの大規模工事に時間がかかっても平気な事に納得できる。
外国に暮らしてとうてい理解できない現象の数々に出くわした時、自分の考えが資本主義をベースに出たものではないかと疑ってみると案外解決することが多々ある。
一神教の国々の報復合戦をみて「この人たちはなんでわかんないかなー」と私たちは思う。
それと同じくらい私たちニホンジンは資本主義の価値観こそ「正しい」と思い込んでる事実も把握しておくべき。
(多神教の日本には資本主義の神様もやっぱりいるんだろね。)
それにしてもコートダジュールだって資本主義社会だよねぇ??[:しょんぼり:]
すごいのかすごくないのか?
コメント